2008年10月08日
今なぜインクルーシブ教育なのか
『障害児を普通学校へ』(2008.9.NO.270)の表紙の「障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク」事務局長 楠 敏雄さんの文章です。
題は 『今なぜインクルーシブなのか』です。
楠さんは語っています。
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1944年に北海道の小さな田舎町で生まれ、医療ミスによって2歳で失明した私は、60年余りの視覚障害者としての人生を通して、様々な差別や困難を経験してきた。こんな書き出しを方をすると多くに方たちが「さぞつらい人生だったでしょうね」と同情を寄せてくれるかもしれない。しかし、実際には私にとってはそんなに暗く悲しい人生を送ってきたという実感はない。
いずれにしても、今回、私に与えられたテーマは「自分史を振り返る」ではないので、自らの半生を総括するつもりはないが、それにしても8歳から22歳まで4箇所の盲学校で学び暮らした14年間は私にとって決して「充実した学校生活」とは言い難いものであった。もちろん障害をもつ仲間と過ごした楽しい思い出も数多くあったのだが、今思い出される記憶の多くはやはり、隔離された学校や寄宿舎での厳しさやくやしさであった。だから私にとって盲学校とはどうしても「肯定的な印象」とは言い難い場なのである。わたしが1974年に「青い芝の会」の呼びかけに応じて「養護学校建設反対」の運動に参加し、その後全国の仲間たちと共に「79養護学校義務化阻止闘争」を展開することになった動機も本当のところは、そんな盲学校に対する私の「ネガティブな記憶」に基づいていたのかもしれない。
2 略
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私は「インクルーシブ教育」について議論する際、常に以下の一文を念頭に置いている。「個人差、もしくは個別さの困難さがあろうと全ての子どもたちを含めることを可能にするよう教育システムを改善すること・・・(中略)通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れるというインクルーシブ教育の原則を法的問題もしくは政治的問題としてとりあげること・・・(後略)」これは、1994年にユネスコが主催してスペインで採択された「サラマンカ宣言」中の一文である。更にこの宣言の冒頭においては最も基本的な教育の原則が明記されている。すなわち「すべての子どもは誰であれ教育を受ける基本的な権利を持ち、また利用できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなかればならず・・・(中略)このインクルーシブ志向を持つ通常の学校こそ差別的な態度と闘い、すべての人々を喜んで受け入れる地域社会を作り上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり・・・(後略)」
ここで確認されている教育のありようとは障害を持っているか否かに関わらず、子どもたちすべて通常の学校に位置づけられるべきであり、しかも一人ひとりの教育的ニーズが満たされる権利を有している、ということである。これこそが「インクルーシブ教育」の基本理念であり、障害児など一部の「教育困難児」のみを取り出して、特別支援教育と位置づけ、「特別ニーズ」を強調する文科省の手法は明らかに意図的な選別主義教育と言わざるを得ない。
・・・・・(中略)・・・
私たちは運動の基本原則を絶えず検証しなければならないが、それと同時に現状を少しでも打破するための的確な運動方針を打ち出すことをあきらめるべきではない。今、私たちに求められているのは分離教育体制を変革しうる緻密な戦略と有効な戦術を提起し全国規模の広範な運動の盛り上がりを今一度作り出すことである。
最後に、今の私にとっての重要なキーワードは、次の二つである。一つは頑固さ、もう一つは謙虚さである。一見、矛盾するかのように思える、この二つの言葉を私は絶えず自らに言い聞かせつつ運動を進めていきたいと考えている。
Posted by 会員
at 10:19
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