2008年06月28日
『花梨だよりNO10』ー多田羅洋介2006年秋ー②
つづき
【第1回高校進学を実現する全国交流集会】
1994年夏、たしか早稲田大学の講堂だったと思う。私は同行してくれた支援者2人と共に洋介を連れて「第1回高校進学を実現する全国交流集会」の会場に立った。どのようなことが議論されたのか、詳細は全く覚えていないのだが、会場の熱気はスゴイものだった。特に神奈川の河野紹君のお母さんが高校生になって母子通学されている報告には圧倒された。東京での先進的な(?)高校入試の際のいろいろな特別措置に対して、ないない尽くし香川県民としては無条件でうらやましいと思った。
【高校を目指して】
東京から帰って、県教育委員会高校教育課と洋介(中2)の高校入試に関する第1回目の話し合いを持った。以来、担当者は次々に替わり、私たちの対面する顔ぶれも変わるが、進展しない。「点がとれない、それでも高校生になりたい障害児がどうすれば高校生になれるのか」その一点を問い続けている。
洋介が小学校に入って8年の月日が流れても香川の状況はちっとも変わらなかった。(変わらないどころか、今年度など、最悪であった。。。)保育所、幼稚園では障害児を受け入れるところもあったが、小学校就学に際して、就学指導委員会の判定を拒んで普通学級を望む親子は現れず、せめて小学校だけでも地元小学校の特殊学級への在籍を求めるが、彼らも中学校進学に際しては養護学校へ入っていった。頑張らなければ普通学級に居続けられない。その頑張りを支える仲間がいないし、先生たちもいない状況が続いた。
「分離教育制度」が充実している香川では「障害児」に対する「理解者」は療育施設や訓練施設、そして養護学校に偏在しており、「障害児」が普通学級に在籍して学級経営(嫌な言葉!)が成り立つと考える先生は皆無に近かった。幸い洋介の中学校では細かいトラブルはありながらも校長の強いリーダーシップの下、誠意を持って洋介に関わろうとする多くの先生に恵まれた。そして、当然ながら多田羅洋介一家の広報紙である「満中通信」を読んでいた先生方は洋介が養護学校高等部へ進学する意志のないことを知っていたので、他の生徒と同様に中三の時は高校受験一色に染まり、補習にも出席を求められた。しかし、それは広島のように、あるいは大阪のように進路指導の一環として中学校の先生が率先して高校に出向き、うちの(障害のある)生徒を取ってくれと働きかけることにつながってはいかなかった。洋介にとっては高校生になりたいという切なる望みは先生方にとっては「かなわぬ夢」でしかなかったのだろう。小中学校に障害児のいない香川では「障害児が高校に入るのは無理だ、先生方が反対する」という声をあちこちで耳にする。障害児に出会ったことのない=未経験ゆえに抵抗も強いのだろうけれど他都道府県の実例を研究したらよいのだし、親だって障害児・者の家族になるまで「障害」のことを全く知らなかった者がほとんどなのにーと訴え続けてきた。
【15の春】 (1996年)
地域の公立高校、琴平高校を受け、不合格。不合格後も自主登校を続け、ビラを配る親子に対して早々に校門が閉ざされ、登校指導を装う教員が通学路のアチコチに立っており、ビラを配るのも難しくなる。
(16の春)2年目も琴平高校不合格 (1997年)
父親も受検(坂出商業)するが不合格となる。ペーパーテストの成績には自信があったので、不合格にされた理由はただ1点、「洋介の父親だ」ということだと思って入試合否判定資料の公開請求をする。当然ながら真相は判明しなかった。それでも意義申し立てや意見書の提出、審査会での意見陳述等2年余りのやりとりの中で何故、障害児が高校受験するのか、障害児にとって入試とはどういうものなのか、といった主張を繰り返し訴えていった。また、洋介に関しても不合格になる度に資料の公開請求をおこなった。県教委の建物の中で高校教育課の課長や課長補佐と話す時、こちらの要望書に対して文書での回答には応じないのだが、公開請求をすると、高校入試に対する県教委の考え方も文書になって戻ってきた。それに対して異議申し立書や意見書で反論し、審査会の場でもいろいろな立場の人に意見陳述をしてもらい、もう一つの交渉の場という観すらあった。
(17の春)高校受検3年目、琴平高校より少し遠い善通寺西高及びその定時制を受け不合格。(1998年)
父親は昨年来の運動の成果もあったのか(不合格にした場合の説明ができない?)善通寺西高定時制に合格。神奈川の河野さんにならって洋介を伴って通学しようとするが、入学式にも参加できず(当日教職員によるバリケード阻止)。その後も洋介を伴うと授業に参加できず、思いなおして、まず教員や同級生と親しくなろうと父親だけの登校にするが、翌年、出席日数不足(予定)を理由に退学勧告、拒むと退学処分になった。
Posted by 会員
at 19:23
│Comments(5)
この冊子の中、第一分科会「高校にむかう」で「高校生になることを夢見みて10年」でも、洋介君のお母さんが報告なさっています。
もしその記事が本当だったならば、私はその記事を書いた人の考え方に同意します。
何度も書きましたが、私も自分の子供を高校に通わせたいと考えているにも係わらずです。
やぶくんのいう何年か前の新聞の記事というのは、A新聞のことでしょうか?
1996年(もう、12年も経ってしまったんだ。。。)の『多田羅くん16歳』のシリーズのことではないですねえ、これは、彼のご両親が書いた文だから。。。
ということは、1997年の『揺れる障害者の進学』<県立高定時制に入学⇒知的障害者の息子連れ登校⇒無期停学>の記事でしょうか?
この記事を書いた記者と私は面識があるので、彼の考え方がやぶくんの言われる考え方でないということを私は知っています。私たちのことを彼は理解してくれていました。
彼は、多田羅くんの高校進学にかかわる人々に取材をして、記事を書いていたので、その中のお一人の意見をおっしゃているのかなあ~と推察いたします。
それか、他の新聞かもしれませんねえ~?!
しかし、当時我が家は4紙の新聞を取っていましたので、かなり新聞の読み比べをいたしていましたが、
『同世代のものと同様にーというばかりでリハビリなど何もうけてこなかった』とか何とか・・・というのは、多田羅くんが育ってきた状況とは違う(『多田羅くん16歳』でお父さんが書かれた文章を読むと分かる)ので、別の人のことでしょうか?
わたしたちが、今までに経験した「サプライズ」に比べれば、比(悲)ではありません。。。