2008年05月27日

普通学級の介助の専門性を考える・・・またまたつづき

うさぎ普通学級の介助の専門性を考える・・・またまたつづき
 これ、みどり色とえんじ色のえんどう豆です。
 むぎたてなので、みんなみずみずしいです。自然のめぐみです。(注:えんじ色のえんどう豆は決して干からびた古いお豆ではありません。)
 豆ご飯にして食べました。二つのえんどう豆の味が調和してとってもおいしい豆ごはんとなりました。
 ちなみに、この珍しい豆たち、次女の職場のパートのおじさんが愛情をかけて作った収穫物です。えんじ色のお豆は、かすかに小豆の風味がしましたよ。

  ☆    ☆     ☆      ☆      ☆      


わたしはみんなといっしょにいるいっしゅん、いっしゅんを、
こころからたのしんでいるのだから、
たとえ、ひらがながよめないとしても、
それがどれくらいじゅうようだっていうんだろう?

わたしはきのうのじゅぎょうでならったかんじも、
ひきざんもおぼえてないけど、
それでも、ここにいてもいいですか。
ここでみんなといっしょに、きょうしつにいていいですか。

みんなといっしょに、わたしもべんきょうをおしえてほしい。
あしたにはおぼえていないかもしれないけど、
きょうはいっしょにべんきょうしたいから。

みんなとおなじに、わたしをみつめてくれるまなざし。
なまえをよんでくれるこえ。
はなしかけてくれるこえ。
わたしにむけられるしたしみのきもちが、
わたしにはとてもたいせつなものだから。

わたしは、ひらがなもよめなくて、
たしざんもひきざんもわからないけど、
ここではみんなからきらわれたり、
せんせいにもじゃまにされたりしなくていいんだって。
そうおもえるだけで、わたしはあんしんしてここにいられる。

わたしがわたしをたいせつにおもうためにひつようなのは、
わたしがこころからそうかんじること。


わたしのかんじょうは、
わたししかかんじることができないから。
わたしがわたしをたいせつにおもえますように。


わたしがせんせいのいうことをおぼえられなかったり
なんどもおなじしつもんをくりかえしたりしても、
おこらないでほしい。


せんせいのいうとおりにできなかったとしても、
みんなといっしょにいるのはむりといわないでほしい。

せんせいのいったことをわすれてしまったとしても、
わたしはそんなにひどいことをしているのだろうか。


わたしはみんなといっしょにここにいることが
ほんとうにうれしいし、
ここにいるいまをじぶんいっぱいにたのしんでいる。

だから、そのことをぜんぶおぼえていないとしても、
わたしにうれしいきもちがなかったことにしないでほしい。


たとえ、わたしがたのしいおもいでをわすれてしまったとしても、
かけがえのないたいせつなじかんではなかった、
ということにはならないのだから。









  




Posted by 会員  at 05:45 │Comments(0)

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