2010年04月27日

「先生、”幸せな苦労”をしてください!」

「先生、”幸せな苦労”をしてください!」

~ワニなつノートより~

すべての子どもたちへ(その6)  0点でも高校へ
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「定員内不合格」をなくし、希望するすべての子どもに
後期中等教育を保障するために(その6)



「高校に行きたい」と言えなかった子どもたち》

今年の総会の「終わりの言葉」はManaちゃんでした。
「わたしは勉強は苦手だけど、高校に入れてよかったです。
…高校はとても楽しいです。
…今度はわたしがみんなを応援したいです。」

何度も言葉につまりながら、
みんなを応援したいと一生懸命に話すManaちゃんをみながら、
私は半年前の学習会のことを思い出しました。

あの時、Manaちゃんのお母さんは受験をやめますと話したのでした。

《この子が、「お母さんごめんね、お母さんごめん」って言うから、
どうしたのかと思って聞くと、
「勉強が難しくて分からない…。試験も分からない…。辛い」って。
だからもう高校には行きたくないって言うんです。

勉強が難しくて分からないし、試験もできないし…。
最近は、友達の話題にも入れない…、一人で辛いと。
同じ学校の特別支援学級に、
小学校からの友だちのAちゃんがいて、
休み時間などには遊びに行くこともあって、
Aちゃんたちと一緒にいると話も合うし、楽しい…。
Aちゃんたちと一緒の学校に行きたい…。

私は、この子が高校に行きたいなら入れてあげたいと思って
がんばってきたけど、
この子は私のために高校行くって言ってたのかなと…。

このところ、お腹が痛くなって学校を休むこともある…。
わたしは、ただこの子が笑っていてくれたらいい…。
でも、この子はこの子で私に気を使って、
高校に行きたくないって言えなかったのかと思うと…。
どうしていいのか分からなくなって…。

この子が本当にAちゃんたちと同じ高等部に行きたいなら…。
ここまで応援してもらってきて、
ここで受験しないことになったら
会や皆さんにもご迷惑をかけることに…。
だから……。》   

【委ねる守り ・高校編 その1)
http://sun.ap.teacup.com/applet/waninatu/200911/archive?b=8


Manaちゃんの「高校に行かない」という言葉。
その「本人の言葉」が
そのまま真実「本人の気持ち」ではありませんでした。
「高校に行きたくない」のではなく、
高校に行きたいと「言ってはいけない」と
思わされてしまう力に追い詰められたのです。

「高校? 受験があるんだから無理だよ!」
「高校? あなたが行けるわけがないでしょ!」
それは、誰か一人の言葉ではありません。
それは、「高校受験」という制度の言葉です。

中学校入学から、先生たちが口にする言葉のほとんどすべてが、
その言葉を含みこんでいます。
いまの受験制度のなかでは、先生の励ましや応援の言葉もすべて、
裏返せば「がんばらないと、高校に行けないぞ」
「そんな服装じゃ、高校に行けないぞ」
「そんな態度じゃ、高校に行けないぞ」につながっています。

そうした脅しに、毎日のようにさらされて、
不安にならない子どもはいません。
勉強がよくできる子どもでも不安を抱えています。
そうした、みんなの不安を、
自分の不安とともに抱え込んでしまう子どももいます。
自分一人分の不安でさえ大変なのに、
みんなの不安を感じてしまう子どもたちもいるのです。

私たちにできたのは、ただ「大丈夫だよ」と伝えることでした。
ただそれだけでした。
Manaちゃんが分かるように
勉強を教えてあげることはできませんでした。
成績を4や5に変えてあげることもできませんでした。

ただ「大丈夫」、「みんなが応援してるから大丈夫」
というしかできませんでした。
私たちは、高校に入れる保証も何の根拠もない、
そんな言葉しか持っていませんでした。

「だいじょうだよ。Manaちゃん。
もしも受験で不合格になっても、
お母さんもタカムラさんもシモダイラさんも、
みんなManaちゃんを嫌いになったりなんかしないよ。
Manaちゃんが、だめだなんて誰も思わないから」

それまでうつむいていたManaちゃんが、
横目でタカムラさんとシモダイラさんを見ているのがわかりました。
タカムラさんとシモダイラさんが笑顔でうなずているのを、
Manaちゃんは見ていました。

「高校に行くのはManaちゃんだから、
Manaちゃんが自分で決めていいんだよ。

お母さんのことや会のみんなのことなんか気にしなくていいんだから。
もしも本当にManaちゃんが高校に行きたくないなら、
行かないって決めてもいいんだよ。

でも、Manaちゃんが本当は行きたいのに、
お母さんやみんなのことを心配したりしてるなら、
そんなのはぜんぜん気にしなくていいんだから。

勉強が苦手なことは恥ずかしいことなんかじゃないんだから。
だからManaちゃんが自分で決めていいんだよ。
みんな、Manaちゃんが自分で決めたことを応援するからね。」


私たちが言ってあげられるのは、そんな言葉だけでした。

それでも、Manaちゃんは最後までがんばりとおしました。
特色化入試で不合格、
一次試験では定員が空いていたのに不合格。
それでも、Manaちゃんは堂々とまっすぐに自分の決めたこと、
自分のなりたいもの、自分の希望に向かって歩きました。

2度の受験に落ちて泣くことも、苦しむことも、
不安なままで卒業式を迎えることも、
すべて堂々と歩きすぎて、
いまManaちゃんは素敵な女子高生をしています(^_-)-☆

    
  □     □     □


同じように、「高校に行きたい」と言えない子どもたちがいます。

『子どもの高校就学はなぜ大切なのか』という論文に、
その子たちのことが書かれています。
(宮武正明・松山東雲女子大学&森田明美・東洋大学)

『2.今日の社会と高校進学の意味』から。

【…国はようやく、2004年の社会保障審議会に設置された専門委員会の検討と意見具申を受けて、2005年4月から生活保護世帯の高校就学経費を「生業扶助」として支給することとしたのである。

こうした政策の変更には、福祉事務所ケースワーカーの様々な取り組みが反映されているが、その一つが東京下町・江戸川区福祉事務所における過去20年の「中学生勉強会」に象徴される生活保護世帯の子どもの処遇に関する取り組みがある。

1980年代、同区は各中学校で深刻な中学生の非行問題を抱えていたが、彼らの多くが生活保護世帯の子どもを中心に親の家計を見て自分は進学できないと思いこんでいる子どもたちであった。

江戸川区福祉事務所では、1986年ケースワーカーたちによって、中学三年の三者面談時に「高校に進学する」と言えなかった子らを夜の役所に集め「中学生勉強会」を開いているが、現在に至るまで途切れることなく続けられている。

親を見て勉強に希望が持てないことから早い時期から学力不振になり、学校に居場所がなくて不登校、非行になったこれらの子は、中学3年生での三者面談の際に教師に聞かれた時「勉強は嫌いだ」「進学はしない」と告げるしかない。

けれども、これらの子どものほとんどがこの勉強会を知った日から役所で行われる勉強会に通って、高校進学に希望を見つけている。それは、学力不振のままに社会に出ることの彼らの不安がいかに大きなものであるか、を表している。「九九」ができない、「ABC」が読めない彼らの不安は、実際は福祉の側から「きちんと説明し、進学の希望を持たせる」ことができれば、その後若干の学習の援助で容易に解決できることをこの勉強会は長期に渡って証明してきている。】      
  

    □     □     □


ここには、Manaちゃんと同じように、それまでの自分の経験から、
「高校に行きたいと言ってはいけない」と
思い込まされた子どもたちがいます。

「そんなことはない。
誰もが、高校に行って勉強していいんだよ。
中学でつまづいたところがあったって、
高校ではそこをやり直しがら勉強する所でもあるんだから。
15歳で自分をあきらめたりしなくていいんだから。
みんながそこで、自分のこと、将来のこと、
勉強しながら、部活をしながら、
考える場所が高校という所なんだから。
あなたも堂々と高校生になっていいんだよ」

その言葉を必要としている子どもを、
私たちの社会は、ずっと切り捨ててきました。
本当に教育を必要としている子どもを、
まっさきに切り捨ててきました。

高校進学率が90%を超えてから30年近く、
イス取りゲームを続けています。
高校進学率が98%、99%になっても、
子どもが座れるはずのイスを奪い続け、減らし続ける制度。
それを、「高校受験」と言います。

なぜ、こんなバカげたことを、私たちはやめようとしないのだろう。
さらには、高校を無償化にしてもなお、
選抜をやめようとしないのはなぜだろう?


進学率が99%になっても、高校が無償化になっても、
「選抜制度」は守られなければいけないものだろうか?

「入った子だけ、無償化」
そう言いながら、子どもたちみんなにゆきわたるイスを、
またひとつ外す…。



私は非常勤の講師だったので、
中学3年生と定時制高校の両方を教えていた時期が
13年くらいあります。

3月には、中学校卒業で「じゃあな」と言い、
4月には高校で「よお」と迎える幸せな日々を過ごしました。

「高校には行かない」とつっぱる中学3年生とつきあいながら、
「ここなら絶対に大丈夫」と言える高校がある幸せと、
その子たちを高校で迎えることのできる幸せと、
私はかなり幸せな場所にいたのだと思います。

定時制高校でも、不登校の子どもたちや、やんちゃな子どもたち、
勉強のできない子どもたち、そして障害のある子どもたちを
受け入れることを、多くの先生たちが嫌がります。
そういう子どもたちが、大勢いるとどんなに大変かを語ります。

でも、わたしは思うのです。
子どもとつきあって苦労できることは、幸せなことだと。

子どもとつきあう仕事を失くしてからずっと、
私はそう思い続けています。
子どもに苦労させられることが、どんなに幸せな仕事だったかを。
いつまでも記憶から消えず、何度も思い出すなかには、
「こいつだけは、さっさと退学してしまえばいいのに」
と思った子がいます。
お前を殴ってやめてやる」とつかみかかってきた子が、
一年後には「先生の授業はためになるよな」とつぶやいた言葉が、
ずっと宝物のように繰り返し、聞こえるのです。

子どもにかけてもらえる苦労。
それは、たった1%の子どもが、99%の仲間から分けられ、
社会から見捨てられていくのを、
ただ指をくわえて見ているよりは、
ずっとずっと幸せな苦労だと思います。







Posted by 会員  at 22:32 │Comments(0)

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