2008年04月10日

普通学級の障害児の通知表が語るもの

  ーワニなつ・いろはカルタのノートー(佐藤陽一ブログより)

《こ》
 子どもの通知表、ついているのは先生の点。


普通学級の障害児の通知表は、だいたいがオール1かオール△か、
とにかくビリの評価がつく。
さんすうも、おんがくも、たいいくも、
障害のない子たちと比べたら、やっぱりそうなるのかもしれない。

でも、時々、音楽の選科の先生が2をつけてくれたりすることがある。
選科の体育の先生が2をつけてくれたりすることがある。

また、先生が変わると、評価が変わることがある。

たとえば、ずーと字を書かない子、しゃべらない子は、
その子の「学力」が変わった訳ではないのだから、
その「変わった評価」の差は何か。

それは、障害を持った子どもたちの側からみた「先生の点」だったりするのだろう。
(この子たちは人間を数字や△の記号なんかで評価するほど野蛮じゃないと思うけど。)

でも、一番下の1や△をつけるのも、
「教師のプライドが許さない」という先生がいて、
そういう人たちは、誰が教えた訳じゃないだろうに、
不思議と同じことをする。それが「斜線」だ。

そして、その理屈もたいがい同じだ。
「1をつけたら、他の子の1がかわいそう」
「△をつけたら、他の△の子がかわいそう」
そんな悲しい理屈を思いつく人生がかわいそうだと、私は思う。

親が斜線の通知表にちゃんと抗議して、
他の子と同じ通知表を下さい、というと、
「そんなに言うなら、1をつけますが、
普通の1じゃなくて、ずっと低い1ですからね」と、
訳の分からないことをいう人もいる。

そんなくだらない理屈が「自分の評価」だと知っておいた方がいい。

「うちの子、全部1だけど、社会だけ2だったの」という話を聞いて
私たちは応える。
「そうか、社会の先生だけが、ちょっとましなんだね」
「え、そうなの?うちの子が社会がんばったんじゃないの?」
「でも、しゃべらないのも、字を書かないのも、 テストが0点なのも変わらないでしょう」
「そうね~」
「子どもが変わったわけじゃないんだから、
通知表の評価は、先生の評価なんだよ。
この子はもともとがんばっているんだから
社会のせんせいだけ、やっとこの子のがんばっている姿が見えるようになったんだね

障害のある子どもたちの、小学校から高校までの通知表の話を毎年聞いていると、
分かることがある。
それは、言葉のない子や、字を書かない子でも、
高校の通知表がいちばん良くて次が小学校で一番悪い成績が中学校だ

誰か、このテーマで論文でも書いて発表したら面白いのに。




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