2009年07月24日

「共に生きる」を考える

「共に生きる」を考える

「障害児を普通学校へ」の会報2009.6.NO.277が先日届いた。

最初に、大阪府の上田哲郎さん(小学校2年生まで、養護学校に40分スクールバスで通い、その後地域の小学校、中学校、高校、2浪後九州の大学へ)の文章、『「共に学ぶ」環境無しで「共に生きる」環境は作れない』が載っている。

障害当事者である上田さんの文章を少し紹介しよう。詳細を読みたい方は、「障害児を普通学校へ」へお申し込みを・・・・・年会費1口4千円 FAX03-5313-8052・・・

・・・・前文略・・・・
 
 共学は相互効果

学校という所を卒業し社会に出る。障害児の施策と障害者の施策は矛盾している。学校生活では個別のニーズを引き出すろいう建前で別学を進める文科省。かたや卒業後は地域で豊な生活をと言っている厚労省。障害者側からしてみれば、「はいあなた、学校は終り。明日から地域で生活をして下さい」って言われても、地域で関係ができていないし、知らないという感じである。健常者側からしても「近所に障害を持った人おるけど、今までそんなに関わったことないからいきなり関わりを持ってと言われても知らないし」って感じである。最初から同じクラスに同じ時間を過ごしておけば、お互いそんな気持ちにはならないのである。
 
 「知らない」という言葉ほど恐いものはない。知らないを放っておくとやがて偏見がうまれ差別に繋がる。特別支援学校も特別支援学級も「知らない」を作る場所だ。大学の頃に関わった「少年の船」。5日間でも子どもは変わる。人と比べて歩くのが遅く言葉も聴き取り難いのが自分の障害特性。子どもは、最初は珍しそうに見る。次に近寄ってくる。その次に茶々を入れてくる。最後に話しかけてくる。5日目には戯れあえて、別れが惜しくなっている。というのが一連の動きである。

 大学時代の実習先や就職試験を巡った時に大人から「おたくどこの養護学校出身なん?」と聞かれたことがあった。正直にいうと不愉快であった。これが「知らない」からくる偏見である
 5日間で障害を知ることができた子どもと、知らないが故に偏った見方をしてきた大人。一緒に過ごすことが、大人になった時に「知らない」という偏見を持たない心豊な人間になり、受け入れる力が早い子どもの時からの方が善いのである。
・・・後文略・・・・






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