2012年03月17日
”地域で生きる教育とくらしをめざす会”から
障害当事者からの声が届いています。
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障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークML
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障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークMLの皆さん、こちらでは初めまして。地域で生きる教育とくらしをめざす会、教育のバリアフリーを求める広島県民ネットワークの高松と申します。盲学校と普通学校の両方を経験した視覚障害当事者です。今から22年前の春に、広島県公立高校入試を点字で受験し、中3の1年間と高校の3年間を地域の普通学校で過ごしました。
今年に入ってすぐに、私が所属している、日盲連(日本盲人会連合)加盟団体である広島市視覚障害者福祉協会の会報に原稿を書くように言われ、私の経験を踏まえて書いた共に学ぶ教育に関する文章が掲載されましたので、その原稿をこちらのMLにも投稿させていただきます。盲学校OBが多いということもあり、一定の配慮をしなければ割愛されかねないと思ったので、特別支援教育を容認するような書き方をしているぶぶんがありますが、他の部分で、決して容認していないということが伝わると思うので、その辺を踏まえて読んでいただければ幸いです。
なお、この文章を書くにあたり、東俊裕監修、DPI日本会議編集、障害者の権利条約でこう変わるQ&Aや、季刊福祉労働第132号(2011年秋号)に掲載された高木千恵子さんが用いておられた表現を参考にさせていただきました。
同窓会に参加して改めて気づいた共に学ぶことの大切さ
高松 豊
昨年11月23日の夜、私が中学3年の1年間だけ過ごした広島市立可部中学校の学年同窓会が開かれ、たくさんの同級生と久しぶりに再会しました。 高校で一緒だった人以外は、、、ほとんど中学校卒業以来会っていなかったので、21年ぶりの再会でした。
総勢80名の出席だったそうで、本当に賑やかでした。受付を済ませて、いろんな人と話をしながら会場に入って、乾杯直前になって、テーブルに着く前に折りたたんだ白杖をどこかに置き忘れたことに気づき、ちょっとあわてていると、幹事役の司会者が「高松くんの杖が行方不明になっているようなので、皆さんのテーブルの辺りにあれば教えてください」と場内に放送してくれ、一時騒然となりかけたのですが、杖は結局受付をした入口辺りにあったらしく、会場スタッフの方が持って来てくださいました。開始早々やらかしてしまいました(笑)。可部中・可部高時代はよく杖をいろんなところに置きっぱなしにして忘れることはあったのですが、ここ最近では本当に久しぶりのことでした。
先生方も5人ほど出席しておられ、それぞれスピーチをされました。しばらくはイスに座って飲んでいたのですが、そのうちみんながいろんなところに移動し始めたので、私も歩き回っていろんなテーブルの人と話しました。声だけ聴いたのでは誰だかわからない人がほとんどでしたが、中学時代の思い出話や、今の仕事の話などをして盛り上がりました。 柔道整復師の資格を取得して接骨院を開業している人や、看護師、介護福祉士、コンピューター関連や大手自動車メーカー勤務など様々な人がいていろんな話が聞けました。
ある同級生との話で、私が
「自分は中3の1年間だけしか可部中に通っとらんかったのに、みんなよう覚えてくれとる」
と言うと
「1年だけじゃったか?もっと前からおったような気がしとったけど」
と言われ、本当に濃厚な1年間を可部中で過ごしたんだなとしみじみ思いました。
私を含めた男子は、ほとんどの人が中学時代に比べてだいぶおなかが出て横のほうに成長しているようでした。
結局その日は2次会まで参加して、日付が変わるころまで騒いでいました。
中学2年、つまり盲学校に行っていたときに私が考えていたことは、「高校は地元の普通高校に行こう」ということでしたが、2年の3学期にそのことを当時の可部中の先生で、転向してから担任になったy先生に相談すると「高校からと言わんと、1年でも早く地元の学校に変わったほうがいい、そうせんと高校に入って苦労するし、友達も中学の時と違ってできにくい」と言われました。それで可部中を3回ほど見学し、3年の時からの転校を決意し、当時の盲学校の担任の先生に大反対され、激しく衝突しましたが、自分の意思を押しとおし、短い間だったけど可部中に通い、そこから可部高校に進学し卒業することができて本当によかったとあらためて感じることのできた同窓会でした。
可部中に転校するまでは、地元の同級生の友達はほとんどおらず、盲学校が夏休みや冬休みなど長期休暇になると、家にいてもほとんど話し相手もいないといった状態でした。「友達が作りたくて転向したいと言ってるけど、学生時代の友達なんて、卒業して3年もたてばほとんど合わなくなるものなんだよ」と言われたこともあります。
たしかに同級生たちと疎遠になりかけた時期もありましたが、そこに登場したのがインターネットやメール、ミクシーなどと言ったソーシャルネットワーキングサービスで、たくさんの同級生たちもやっていて、それらを通じていろんな人とあらためて再会することができました。
今では、中学校のクラスメイトが働いている美容院で髪を切ってもらったり、またあるときは別の同級生が勤めている焼鳥屋に飲みに行ったりしていますし、ある専門学校に勤めていた高校のクラスメイトが、私の職場である整形外科病院の厨房で実習し
ていたその専門学校の生徒さんの様子を確かめに来たときに、私がいるリハビリ室に訪ねて来てくれたこともあります。
現在行われている障害を持った人に対する教育やリハビリは、その人の体の障害に対するアプローチを優先し、その人の関係性は後回しというやり方がされているような気がしてなりません。つまり「障害を克服し、できるだけ健常者に近づき、何でも人の手を借りずにできること、関係性を犠牲にしてでもそのための訓練をしなければいけない。それができれば関係性は後からついてくる」と言った考え方です。
このような視点で教育や訓練などを行っていては、障害者はいつまでたっても、専門的な訓練の対象者ということになってしまいます。これは大きな間違いだと私は思います。
世界的には、障害の有無に関わらず共に学ぶ教育をめざしていて、1994年に採択されたユネスコサラマンカ宣言(スペシャルニーズ教育に関する世界会議最終報告書の冒頭に掲載されているもの)では次のように書かれています。
①すべての子どもたちが対象で誰をも排除しない。(「すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっている」「教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなけ
ればならない」。)
②特別なニーズをもつ子も条件の整った普通学校で学習する。(「特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる子ども中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならない」。)
③差別と闘う教育(「このインクルーシブ(注)志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と闘い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段である(以下略)」。)
さらに、2006年に国連で採択され、わが国も将来批准することを決めている障害者権利条約のなかでも第24条において統合教育(インクルーシブ教育)が大きく取り上げられています。障害者福祉や介護保険では、「利用者主体のサービス提供」ということが言われていて、どんな状態であっても、住み慣れた地域でさまざまなサービスを利用して暮らし続けることを目指していますが、現在の日本の学校教育制度では、文部科学省の方針の下、障害がある生徒は特別支援学校に入るべきといった分離別学の特別支援教育を推し進めようとしているような気がしてなりません。
もちろん、専門的な特別支援教育を希望している人もいるとは思いますし、それを真っ向から否定するつもりはありませんが、少なくとも「地域の同世代の子供とともに学びたい」といったニーズに答えるという意味でも選択肢として普通学校への入学と
いう道を確かなものにしておくことが必要だと思います。盲学校以外でも、点字や拡大文字の教科書などといった必要な支援が提供されるような環境整備をしなければなりません。
「地元との交流教育を行えばいいじゃない か」という声もあるかもしれませんが、交流だけで、普段の関わりもなく、障害を理由に特別な学校に行っていたのでは、子供同士の関係性ができるとはとうてい思えません。私も盲学校にいたころ交流教育を経験しましたが、年に数回会うだけなので友達は一人もできませんでした。
共に生きる社会づくりには異論は出されないのに、共に育つ教育には、なぜ異論が出されるのか、盲学校と普通学校の両方を経験した一視覚障害当事者として不思議でなりません。共に学ぶ教育ができる環境を作ることこそ、共に生きる社会を形成していく上でとても大切なことではないでしょうか? これからも、地域で共に学んだ自分の経験を通じて、共に学び共に育つことの大切さを伝えていかなければと思っています。
学校生活は、もちろん楽しいことばかりではなく、しんどいことも、子ども同士衝突し、せめぎ合うことだってあると思いますが、それは障害の有無に関わらず当然のことで、そのしんどい時期を、友達との関係性の力で乗り切ることで大きな自信になる
し、事実私自身普通学校で過ごした4年間が今の生活の中でも大きな自信になっています。将来盲学校専攻科で、鍼灸マッサージ師の職業教育を受けるにしても、ほかの仕事に就くにしても、地域の同世代との関係性を築いていく力が、自分自身の強みになり、それが新たな関係性を生み、自身の自立につながるのではないでしょうか?
今回の同窓会では、急用や仕事などで、残念ながら会えなかった人もいるので、ぜひまた会って話をしたいと思っています。
同窓会に参加して改めて考えたことを思うままに書いてみたので、まとまりがない文章になってしまいました。
(注)
インクルーシブ(Inclusive)とは、人はだれもが違った存在であり、ニーズを持っていて、社会はそうした人たちを含みこむことで成り立っている。そうした社会や人のあり方を前提に、性別や人種、民族や国籍、出身地や社会的地位、心身の障害の有無など、その持っている属性によって排除されることなく、だれもが構成員の一人として、地域で当たり前に存在し、生きていくことができる社会を作っていくという意味(東俊裕監修、DPI日本会議編集、障害者の権利条約でこう変わるQ&Aより)。
高松 豊
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◎分けない社会は、分けない教育から!!◎
Posted by 会員
at 11:44
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