2010年10月04日

この子がさびしくないように・・・・・

この子がさびしくないように・・・・・

~2010 瀬戸内国際芸術祭 豊島にて~

ひさびさ、「ワニなつノート」より~

この子がさびしくないように(その9)  ワニなつ
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この子がさびしくないように(その9)


『母よ嘆くなかれ』
二十歳の時に読んだこの本の中身を、
私はほとんど覚えていませんでした。
ただ、いやな気持ち、納得できない気持ちを
感じたことを覚えています。

でも、当時はそれをちゃんと言葉にすることも、
考えることもできませんでした。
ノーベル賞作家であるパールバック、
母親であるパールバック、障害児教育と福祉の世界で
「名作」として認知されている作品。

それに、抵抗できる確かなものを持っていない自分に、
いらだって、気持ち悪い思いをしていたのだったと思います。

「親でもないのに、子をもつ親の気持ちは分からない」、
「まして、障害児の親の気持ちは…」とか、
そう言われて口ごもるしかない場面がありました。

その腑に落ちないものが何だったのか。
いまは、それがはっきりと分かります。

この本には「親の思い」「親の苦労と苦悩」
「親の立場」だけが書かれているのです。

「子どもの屈辱」「子どもの思い」が
「子どもの立場」で書かれているページはありません。


学生のころ、「おまえに親の気持ちが分かるか」と言われ、
うまく言葉をつなげませんでしたが、
「分からなくて」いいのでした。

私が分かりたかったのは、「子どもの気持ち」だったのですから。
私が分かりたかったのは、
無条件に子どもの側にたつことだったのですから。


この本のお話は、すべては親の立場、親の側から、
こんな子どもが生まれて、親がどれほど悲しみ、ショックを受け、
不幸になったか、という時代の話なのです。
だから、子どもが死んでくれたらと願うことも、
まったく迷いなく、
「こういう子どもを持った親なら、分かりあえる」と、
自信を持って書いているのです。
しかもその文章、文体は、ノーベル賞作家のものですから、
申し分ないものなのでしょう。

その時代には、パールバックの周囲には、
そんな親ばかりだったのかもしれません。





でも、私は、そうでない親にいっぱい、
いっぱい出会ってきました。
この30年のあいだに、私が出会ってきた
「障害児の親」たちは、パールバックとは全く違う親たちでした。

障害のある子どもとの出会いを嘆き、
悲しみのうちに生きる、のではない生き方をする家族や
保育園や学校に、私は出会ってきました。

私たちは、この100年余りの時間を経て、
それ以前とは違う「態度」を当たり前に身につける時代に
住むことができます。
それは、「障害のあることは、人としてひとつも
恥ずかしいことではない」という自覚と態度です。

障害をもって生まれてくる子どもがいることも、
生まれてからも怪我や病気で、障害を持つことになる場合もあると、
そんなことをまったく考えずに親になって、
そのとき、「絶望」や「不幸」を感じるのが「ふつう」で、
それを「乗り越える」のが人間だなどというのは、
もうやめよう。
「子どもが死んでくれたら」とか、
そう願うのが親の自然だとか、親の愛情故だなどというのは、
もう二十世紀で終わったことにしたい。

子どもを殺すことや、子どもの死を願うことも
「自然な親の愛」だというのは、
「障害者」が人間扱いされず、
社会によって生きる道をふさがれていて、
そのために不幸だと思い込まされていたからではなかっただろうか。

子どもの死を願うことが、親の愛だと信じられていた時代を、
母親たちが社会にだまされていた時代と呼んで、
過去のことにしたいと思わないだろうか。

そうした時代に、社会がひとつも大事にしなかった障害児を、
社会から分けられた場所、守られた場所で迎えてあげて、
大事にした人がいたことを私も知っています。


いま、私が思うのは、その時代、その社会は、
今も少しも変わっていないのだろうか、ということです。

いまも、「分けられた場所」で、「守ってあげる」ことでしか、
この子どもたちを大事にすることはできないのだろうか。

いまも、そんな時代、そんな社会に、
障害児やその親や家族はいる、というのだろうか?

いまも、この子たちは「分けられた場所」で、
「迎えてあげる」しかないのか。

子どもに、そして子どもたちの親に、
「堂々とみんなの中にいていいんだよ」
「みんなが、だれも、大事にされる世の中になったんだよ」と、
まだ、言えないのだろうか。

そんなことはありません。

これから生まれてくるたくさんの「障害のある子どもたち」に、
「ようこそ、よく生まれてきたね。がんばって生まれてきたね」
「あなたはもうこの社会の一員だから。
みんなで一緒に生きていくんだよ。」

そう言える社会も、関係も、ここには、あるのに。


「この子がさびしくないように」
そのためには、子どもが地域の友だちと同じ保育園に通い、
小学校に通うということを願うだけで、
親がさびしい思いをしないようにしなければならないのです。

親がいなくなってしまうことが、
小さな子どもにとって、いちばんさびしいことだから

                         



ひさびさ、「ワニなつノート」より~

この子がさびしくないように(その10)  ワニなつ
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この子がさびしくないように(その10)


パールバック。『母よ嘆くなかれ』。
もう少し、この作品についてこだわってみようと思います。

私は30年前に読んだ「古い本」として紹介するつもりでした。
私が生まれる10年前に書かれた古い本。
だから、そこに書かれている「古い常識」を、
私も子ども時代に身につけてしまったのだと、
そう考えてみようと思いました。

ところが、ネットで検索してみると、
この本は「古い本」として読まれているのではないようです。
むしろ1997年に伊藤隆二訳の新訳が出版されて、
「言葉遣い」も「差別的」な表現が薄められて、
「読みやすく」なっているようなのです。
(私は読んでいません)

大学の教育学部の授業計画にこの本が載っていたり、
障害児の親のブログでもいくつも紹介されています。
神谷美恵子さんが薦めているから、という言葉もありました。

何より、ある市の『特別支援教育センターだより』で、
この本が写真付きで紹介されているのをみて驚きました。

今でも、就学前の親に向けて、
特別支援教育の勧めとして、この本が使われているのです。

□    □    □


平成20年10月発行「特別支援教育センターだより」

タイトルは
「一人一人の思いを大切にした就学の実現に向けて!」

「右の引用文は、アメリカの作家で、あの「大地」を執筆し、
ノーベル文学賞を受賞したパール・バック女史によるものです。

女史は輝かしい文学者であるとともに、
障がいのあるお子さん(1920年生まれ)の母親でもありました。

女史は、お子さんの養育について悩み続けましたが、
そのこともあってか、生涯にわたって「平和運動」へも
邁進された方としても有名です。

我が子に障がいがあるということを
受け入れることが難しいのは
誰にとっても当然のことで、今も昔も同じです。

ましてやLDやADHDのような気づきにくい発達障がいの場合は、
保護者の方がそれを受け入れることは、
さらに難しいことだと思います。

大切なのは、保護者だけの悩みにせず、
みんなで、「今できる具体的な支援の方法を考え、
その子を支えていくこと」かと思います。

パール女史も、子どもの
「あるがままをそのまま受け入れること」の大切さを
著書の中で伝えています。

これから、来年度の就学に向けての検診や
相談が始まります。

ぜひ、保護者の方や関係者が思いを同じにして、
その子にとっての最大限の支援を考えていければと思います。

【南会津特別支援教育センター】

□    □    □

また、次のようなブログの言葉もありました。

□    □    □


《……パールバックも知的障害をもつ娘をもち、
そのエピソードと内省が本書に描かれています。

わたしの兄も知的障害をもっていて、
本書を母とわたしで回し読みしました。

本書の、娘を施設に入れるに至るまでの話が、
兄の施設入所のきっかけにもなったのでした。

どちらも、もし機会がございましたら、
読んでみてくださいね。》

□    □    □


石川先生の言葉を思い出しました。


□    □    □

インフォームドコンセントの時代ですけれど、
脳死・臓器移植を受けるときのインフォームドコンセント
というのはどうなっているのかという問題があります。
誰がそこにかかわるかによって随分違うだろうと思います。

ダウン症の場合ですけれども、遺伝カウンセラーが
ダウン症の子どもの親である遺伝カウンセラーと、
それからそうでない遺伝カウンセラーが
カウンセリングした場合で、出生率に大きな差があります。

ダウン症の子どもの親の場合には、
ダウン症児を受胎した場合に5割以上が生みます。


通常の遺伝カウンセラーの場合は、
9割までが堕胎するという結果があります。

この差が命の問題を考える場合に
私には凄く大事なことではないかと思います。


『心の病はこうしてつくられる』
石川憲彦+高岡健 批評社 2006年  



(…そんなわけで、パール・バックつづきます。)









Posted by 会員  at 06:29 │Comments(0)

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