2008年10月19日

”厚生大臣特別基準”が認められる!

”厚生大臣特別基準”が認められる!

先日届けられた、最新版NO73『ワニのなつやすみ』(編集人 生活と教育を考える会)より
           


 他人介護料の厚生大臣特別基準
            が認められました


                                中井眞由美

 秀和が、家を出て一人生活を始めて3年目に突入しました。
 今年に入って近所とのトラブルで、一軒家を追われ、7月から新しいアパート生活が始まりました。秀和の誕生会で落ち着いた秀和の笑顔を見てホッとして、その後、石川先生に診察に行ってもらって、「いい顔になってきたね」と先生に言われ、いろいろあるけど、順調に自立生活が進んでいると感じていました。
 そして先日、自立生活センター・K2の茂田さんから、「うれしい話があります」と話しかけられました。「生活保護に伴う他人介護料の厚生大臣特別基準が認められました。これは、秀和君の自立生活を国が認めたと言う事です。柏市の障害福祉課が、認めようとしない、重度知的障害者の自立生活を国が認めたと言う事です(・。・)」
 私は、「ありがとうございます。うれしいです(^・^)」と軽く喜んで家に帰りましたが、佐藤さんから「それはすごいね~~~(@@)!!」と言われるまで、そのすごさが分かりませんでした<()>。
 改めて茂田さんに電話をして、お話を聞きました。茂田さんも、厚生省に電話で確認したそうです。「知的障害者は、初めてですか?」と聞くと、「歴史のことは、よく分かりませんが、近年では、初めてです」と返ってきたそうです.
 今までは、「身体」障害者にしか認められなかったものでした。秀和は、「身体」障害ではないのでなかなか認められず、申請し続けて2年半もかかっているのです。厚生省の人は、「知的障害者の人なら、誰でも出るわけではありません。秀和君には必要だと認めただけです。」と言われたそうです。
 介助を必要として一人で暮らすために、脳性マヒの人たちが戦って勝ち取ってくれたものだと聞いています。多分、重度の知的障害を持つ人が、これを認められたのは、日本で初めてだと思います。これで、全てが補えるとは思いませんが、秀和が、施設ではなく地域で普通に暮らすことを国が認めたのだと思いました。これは今までお世話になった方に、お知らせしなくては・・・・。
 多摩の「たこの木」の岩橋さんには、困った時だけ泣きながら電話をしていたので、一番に電話をしました。すると岩橋さんから返ってきた言葉は、「どうやって、認めてもらったの?」でした。
・・・・・そうですよね、岩橋さんは、知的障害を持つ青年を自立させている先輩ですから・・・・。そこが、一番知りたいですよね。でも、私が言えることは、「自立生活センター・K2にきいてください。」でした。岩橋さんは、いつも私に、「秀和は青年。子育ては卒業。もう、親の出る幕じゃないよ。」と言って、人に委ねることを勧めてくれた人です。自立する青年の人生を一緒に作っている人には、どうやって、厚生大臣特別基準を認めさせたのかが、知りたいですよね。
 その日の夜に、北村小夜さんに電話をしました。「それは、すごい」と喜んでくれました。「みんなに、広めなくっちゃね」・・・と一緒に喜んでくれました。
 9月11日の金井康治さんの命日に、律子さんのお宅に線香をを上げさせてもらいに行ってきました。この日に報告させてもらえることが、本当に幸せです。律子さんは、「鳥肌が立ってきたー」と自分のことのように涙をこぼして喜んでくれました。私が、がんばった訳ではないけど、すごく褒めてもらえたような気分でした。
 秀和が、まだ小学校に上がるまえに、「普通学級がいいよ」と、声をかけてくれた、脳性マヒの車椅子の女性のことを思い出しました。その人が、一人で暮らしているアパートに幼い秀和と出かけて、お米を研いだり、洗濯物を取り入れたり、一緒に買い物に行ったことを思い出しました.まだ、支援費などありませんでした。秀和の学校をどう考えたらいいのjか探っている最中でした。
 
 東大の小児神経科の通園施設から出て保育園に通いました。小学校もみんなと同じ地域の小学校に通いました。小児神経科の先生から、伊部篤さんを紹介してもらい、伊部さんから佐藤さんを紹介してもらい、入学式の直前まで闘わないと実現できなかった小学校生活でした。高校に入るためには、3年間の浪人生活という時間がかかりました。
 ひたすら、特別なところではなく、みんなが生きているその場所で生きてきました。けっして、楽な生き方ではありませんが、友だちと同じ苦労をしてきました。障害のある秀和にとって、私がそだってきた以上に苦労をしてきたに違いありません。 言葉を使わない秀和が、《この生活を望んでいるのjかと》、問われることがしばしばあります。秀和は、”みんなと同じところで生きていく”これしか知りません。それでいいのです。
 なぜなら、どんなにいい施設でも、私はそこで暮らしたくない。誰かに決められた人生なんて、送りたくない。私が、やりたくないことを、秀和にやらせる訳にはいきません。そして、私の出会った障害を持つ人たちは、一人暮らしを楽しんでいます。疲れて、苦しくたって、施設に戻りたくないと言っています。
 私が介助に入っていた広川さんが、今も生きていたら、泣きながら喜んでくれたと思います。彼女が自発呼吸出来なくなって入院した病院のベッドで言っていたのは、「死んでもいいからアパートに戻りたい」でした。首から下が動かない彼女は、車椅子を上手に操りました。元気だった彼女は買い物に行ったり、レストランで食事をしたり、家に往診の先生が来る生活をそばで見てきた私は、「秀和にも自立生活をしてもらいたい」と思いました。
 今、思いが叶い、国からも、秀和の自立生活を認めてもらえたのです。
 秀和、おめでとう。秀和の自立生活は、楽ではないと思います。それでも、どこまでも、みんなと同じ場所で、暮らして行ってくれることをずっとずっと願っています。





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