2011年06月25日
地域フォーラム<丸亀>&ワニなつノート
翌日の毎日新聞に載りました。http://mainichi.jp/area/kagawa/archive/news/2011/06/20/20110620ddlk37100354000c.html
盲導犬お仕事中です。
手話通訳もありました。
わたくしごとでつぶやくと。。。。仕事がこのところ忙しく地域フォーラム<丸亀>の案内が充分にできていない状態でしたのにたくさんの方に来ていただきました。パネラーの方々も言いたいことがいっぱいあって、終わりの時間が30分ほどの延長となってしまいましたが、実りの多い時間を皆様と共有できました。皆様の声を届けていきたいと思っています。
ワニなつノート2011/6/23 9:18
11番目・無視する、の「穏やかな」例 トム・キッドウッド
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11番目・無視する、の「穏やかな」例
養護学校に通っている子どもたちは、自分が暮らしている地域の子どもたちとの、いかなる人間的なふれあいもないまま、二十歳までの子ども時代を…あっというまに通過してしまうことがあり、それは決して例外とは言えない。
成人式がそれを象徴している。
養護学校や特殊学級出身の「新成人」は、地域の会場で、声をかけてくれる友人がいない。友人でなくても、ただの顔見知りもいない。名前が思い出せないくらいのただの同級生もいないことがあり、それは例外ではない。
もっとも、成人式そのものが、「別に」行われることも珍しくない。
つまり、その子の20年の子ども時代、重度の障害児は子ども同士の接触を(人間的接触)を広く長い時代・時間に渡って奪われ、ごく限られた関係に限定されている。
たぶん、まぎれもなく、子ども時代の「学校生活の分離」は、私たちが受け継いだ教育(学校)の伝統のもっともよくない部分である。
幸運にも、「ともに学ぶ、ともに遊ぶ、ともに生活する」ことを大事にする意味に気づいている人はたくさんいる。
行政の側ではなく、そうした会の就学相談会に参加することができれば、普通学級への間違った思いこみや、いらぬ遠慮をなくすことができる。
取り除くことにもっとも抵抗したと思われるエピソードは、「分からない授業はかわいそう。自分でできないことで、傷つくんじゃないか。本人のニーズにあった(不親切ではなく)教育がいい」であったのは、注目に値する。
これは、11番目・無視する、の「穏やかな」例である。
Posted by 会員
at 02:46
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