2008年07月21日

会報『共に生きる』NO.33(2005.1.28)より

会報『共に生きる』NO.33(2005.1.28)より
  ”雪絵ちゃんの願い” 
  ~本当のことだから~
  「4/1の奇跡」

私たちの会が発足した当時、幼稚園の年長だった子どもたちが、2005年3月の公立高校受検を目前にした1月の末に出された会報NO.33『共に生きる』P12より

 今、「後期中等教育(新制高等学校)」を  考える
                 
                                                                      
 戦後、60年が経とうとしている2005年が明けました。私たちの会からも今年7人の子どもたちが高校生になる年を迎えました。果たして、この香川県で何人の子どもたちが高校生になれるのでしょうか?
 私立高校にチャレンジした子どもたちは、みんな見事に落ちてしまいました。財政的に苦しい私立の学校では、障害のある子どもはお荷物的存在でしかないのでしょうか。それとも、点数が取れることでのみの人物評価になっているのでしょうか。私は点数が取れなくても、果敢にチャレンジしていった子どもたちに敬意を評します。彼らは何も分かっていないのではなく、自分という存在を認めてもらいたく、自分もみんなと同じように高校生になりたいという、夢を実現したくて高校の壁に挑んでいったのです。

 さて、ここで今一度、戦後できた「新制高等学校」の歴史を紐解いてみようと思います。
 1948年4月、新制高等学校は後期中等教育とよばれ、新たに義務制になった新制中学との一貫性を前提に出発しました。義務制ではないけれど、できるだけ多くの生徒を受け入れ希望するすべての者が入学できることを理想として、学校間格差がない、男女共学・総合性・小学区制が志向されました。けれども、財政難で学校間格差をなくす政策が進まず、また、実質的に多くの旧制中学を前身にしているため、伝統校などに対する学校間格差を求める地域社会の要望が強く存在しました。一方、戦後の急速な復興を背景に産業界からは職業教育の要請がさかんになってくるなか、小学区制は1952年をピークに激減し、学区制は解体に向かいました。

 新制高校発足時の高校進学率は42.5%(全国平均。以下同じ)高度成長に向かう1959年でも、57.7%で、「エリート型」でした。しかし、高度成長期といわれる十年間に高校進学率は急上昇しました。1960年は59.8%、1970年には82.1%、1979年94%に達しています。94%ということは、多様なタイプの生徒が、さまざまな動機や問題をもって入学してくる時代となりました。しかし、教師や高校の教育体制は、選ばれた者を教えるという意識から抜けきれず、生徒の興味や期待とかけ離れた授業や指導を行い、そのギャップから登校拒否や反抗的行動や中途退学者の増加を招いてきました。ぜひ、人間をみる物差しを変え、後期中等教育での「共生教育」の実現を願います。




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