2010年12月16日

ステキな言葉! 「0点でも高校へ。」

ステキな言葉! 「0点でも高校へ。」

またまた、”ワニなつノート”より

わたしたちは、ひとりではないメロメロ


0点でも高校へ 2010

この言葉を正面から掲げて、我が子の受験に向かうということ。
それは、「一人」でできることではありません。


高校受験で「0点」の子など本当は一人もいないのです。
小学校中学校9年間の義務教育を終えて、子どもたちは高校受験に向かいます。一度のペーパーテストのみで合否を判定する高校はないでしょう。仮にペーパーテストが0点の子どもがいたとして、その子には中学からの内申書等の書類が提出されています。ほとんどの高校が面接も行います。千葉のように「自己申告書」の制度があれば、そこに障害のことや不登校の理由を記入することもできます。

そこから、一人の子どもが6歳から15歳の間に学んできたものを真摯に推し量れば、その子どもの受験に0点がつくことはありません。

大真面目にこの子の9年間の学校生活での学習の結果が0点だと評価する高校の教員がいるとしたら、その人には子どもの教育を語る資格が0点だと自白しているにすぎません。

高校での教育は、「後期中等教育」であり、子どもの人権として保障される範囲の基本的な教育です。その証拠に、昭和24年に「文部省」はこう言っています。
「入学者の選抜を望ましいものであるという考えをいつまでももっていてはならない。」
「選抜はやむをえない害悪であって、経済が復興して高等学校で学びたいものに適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきもの」
「高等学校はその収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。」

そして2010年には、ようやく「高校の授業料無償化」ということが「国民の常識」として違和感なく受け入れられるところまできました。これらは、この国に生まれた子どもに、小学校から高校までの12年間の教育を無償にして、すべての子どもたちに「学ぶ機会」を保障しようということです。「この国に生まれた子ども」に、制限や条件は本来ありません。どの地域に生まれても、肌の色や髪の色、人種や宗教の違い、障害によって差別されるものではありません。その証拠に、養護学校の高等部は20世紀のうちに、「希望者全員入学」が実現されているのです。

いま、この国で、「本当に高校に行きたいのか?」と問われるのは、普通学級の障害児だけです。

もちろん、中学や進学塾でも、子どものやる気を起こさせるために、「自分の意思」で「自分のため」に行くことを強調することはあるでしょう。でも、他のほとんどすべての子どもたちは、「高校に行かない」と口にしたときに、親や先生から本気で詰め寄られるのは「どうして、高校に行かないのか?」ということです。

こうした状況の下で、私たちはあえて「0点でも高校へ」と言い続けます。それは、一人の子どもを「0点」という「目」でしか見られない学校への異議申し立てであり、子どもを点数でなど絶対に切り捨てないと言う意思表明です。

それは、すべての「0点」と見なされる子どもたちと共に闘うことであり、一人でできることではありません。


テストの点数が0点であること。それは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
視力障害のために、目に見えるものが何もないことが、恥ずかしいことではないように。
聴力障害のために、聞こえる音が何もないことが、恥ずかしいことではないように。
身体障害のために、自分の足では一歩も歩けないことが、恥ずかしいことではないように。
知的障害のために、漢字が読めないこと、計算ができないことは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
そして、その障害に何一つ配慮も工夫もない、「学力試験」を課して、「0点」という数字が出たからと言って、この子が何を恥ずかしがる必要があるというのか。

この試験を受けなければ高校生になれない、そういう制度だから、そういう世の中
だから、この子はちゃんと試験を受けたのだ。


結果が0点。
それは、見えない人に、視力検査をして、0点をつけるのと同じ。
聞こえない人に、聴力検査をして、0点をつけるのと同じ。
車椅子の人に、歩行テストをして、0点をつけるのと同じ。
この子は、小学校に入る時から、この障害を持ちながら、みんなと一緒に学校生活を送ってきて、9年間の学校生活を通して、一緒に学び、一緒に成長してきたのだ。
だから、いま、ここに、高校受験と言う、この子の障害にとってだけ配慮のない、理不尽な場に、堂々と立つことができるのだ。

それは、小学校、中学校を通して、障害のあることは人として一つも恥ずかしいことではない。その自信と安心を、小学校中学校の教育とそこで共に学ぶ仲間が、教えてくれた大切な財産であり、最高の教育の結果だと言えます。
0点でも高校へ。
いまの日本の現実の教育制度の中で、こんな素敵な言葉はありません。




Posted by 会員  at 01:16 │Comments(8)

この記事へのコメント
今のところ、今年一番笑えた。
Posted by へー。 at 2011年01月19日 16:07
できうる限りは、いただいたコメントは承認していこうと思っております。(プライバシーの侵害にあたらないものは・・・・)
なぜなら、それが私たちのおかれている現実の社会だからです。
Posted by 会員会員 at 2011年01月20日 00:53
視力や聴力がない人は、代わりの力を身に付けている。
自分と同じような境遇に置かれている仲間と共に、悩みを打ち明けあったり共感したりして、友達を見つける。そして、杖で歩いたり、手話をできる力を身に付ける。
その力があるから、障害を持たない人ともコミュニケーションができますよね。

私は養護学校に通っている知的障害を持つ方との交流がありましたが、そこでも彼らたちは力を身に付けていたと思う。
同じような「悩み」(この表現が適切かはわかりませんが)を持つ同士で話して、できないことは彼ら自身が私たちに直接頼ったり、知的障害が重い子のフォローを彼らでしあったり。きちんと仲間を見つけていた。

でも、普通学級に「通わされる」子たちはちがう。
周囲がお世話をしてくれる。自分だけが違うという不安から落ち着きがない。お世話をするクラスメイトは、先生や親の顔を見て良い子を演じるけど、内心はお世話係なんてまっぴら。
上っ面だけの友達しかできてない。それを親は見て満足するのでしょうが。
視覚障害の方が普通学級に通って、点字を学べますか?それを学校が配慮しろというのでしょうか。予算的にも不可能です。でも、きちんと学べる場所が養護学校にはある。力を身に付けることができるんです。

「当たり前」のことがそんなに大事ですか?我が子を本当に想うなら、力を身に付けさせたいと考えませんか。
不登校児を無理矢理学校に行かせますか?普通の学校にいくことはそんなに当たり前ですか?
「当たり前」に固執するあまり、大人自身が子どもの幸せを奪っていっているのはないですか。

あなたの子どもさんは、その道を行かせることで本当に幸せになれるのでしょうか。
Posted by エゴになっちゃいけない at 2011年01月21日 02:54
「エゴになっちゃいけない」さん>コメントありがとうございます。

私たちの活動を「エゴ」だとおっしゃっていらっしゃるのでしょうか?

「あなたの子どもさんは、その道を行かせることで本当に幸せになれるのでしょうか。」

「あなたの子どもさん・・・・」というのをインクルーシブ教育を受けてきた子どもたちを実際に支えてきた親として、分かったことで説明させていただくと、私の知っているインクルーシブ教育を受けた子どもは学校に行くことを楽しんでいるということ。また、子ども自身が親よりもずーっと高校に行きたいと思っているという事実があるということです。

 このことは、私たちのことを実際によく知っている方たちは、(親の)エゴであるとは思っていないと思います。もし、そうでないとおっしゃるのなら、「エゴになっちゃいけない」さん直接にお会いしてお話ししたいと思いますが・・・。
 
 私たちは、相談活動も行なっておりますので、分離教育の負の部分もたくさん知っております。
Posted by 会員会員 at 2011年01月21日 03:34
初めまして。時折読ませていただいています。
ワニナツさんの、大ファンでもあります(笑)

香川もパワーありますね。私の伯父が香川出身でした(三豊郡)。

さて、うちの子は支援教育には強い拒否反応を示し登校不可能状態にも陥った経験が有ります。学校関係者のほうから不登校がなおると言われたのに・・・
逆にひどくなりました。

(普通学級での)不登校の原因は、クラスメイトからのイジメ&無視だったんですよ・・・
なのに、うちの方が隔離されちゃった~~。
(苦笑)

そして、支援学級時代には普通学級の子どもに対して頭を下げる始末。同じ学校・同じ学年の中で上下関係を感じていたんでしょう。
普通学級に戻ってすぐに、子どもは「俺が支援学級に戻ることはあり得ない!」と
断言しました。
普通学級での「新しいクラスメイト」たちからは・・・
「おまえ、あそこから(=支援学級から)卒業できて良かったな。」って、そういわれたそうです。

子どもたちの方こそ、全てをわかっていますね。。

普通学級での、うちの子の元気で楽しそうにしている様子を御覧になられた支援学級の或る生徒のお母さんは

「我が子を支援学級に入れたことが良かったかどうか、今ごろになって悩む。。」
と、そうおっしゃりましたよ。

後悔は先に立たずです。

私は早めに気付いてよかったですし・・・

一旦入ってしまった支援学級から普通学級に戻すのは
至難の業でした。

でも、そのおかげで、私はかなり強くなれましたが。。。
(苦笑)


もう、支援学級4日目から(コレは変だ!)と
気付いて、何度も何度も先生や教育センターに相談し続けていたのに・・・(泣)

学校関係者一同からは支援学級に留まるようにと説得され続け・・・
結局1年以上も棒に振ったことは後悔せずにはおれません。

ですが、もういいです!
普通学級に戻ってからというものは、
息子はかなりの成長を遂げましたし、
普通学級では「成績」がつきましたので、
これでもう、いつでも普通高校を目指すことができますから・・・
ね!

v(^。^)v
Posted by 遠方より at 2011年01月31日 13:30
遠方よりさん>貴重な体験報告ありがとうございます。公開が遅くなって申しわけありませんでした。

いじめる方をそのままにして、いじめられる方を通常の学級から離していくやり方は、根本的な解決にはならないので、結果的には問題を、よりこじらせていきますよね。

普通高校を目指、がんばってください。
わが県の高校j受験6浪中の”らびhttp://koukousei.ashita-sanuki.jp/さん”は、中学校の調査書の保存期間が5年なので、今年から、調査書無しで在籍証明だけの受験となります。ナンカナア~という気分です。

”らびmama”さんは、らびさんの卒業式に謝辞を読みました。もちろん、原稿は自分で書いて・・・・・。インクルーシブ教育にみんなでがんばっていたと思っていました。でも、書類上の記録は今はもう、存在しません。
Posted by 会員会員 at 2011年02月07日 11:37
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