2008年05月24日
普通学級の介助の専門性を考える(佐藤先生からの便り)
《「介助」を通して、私は何をしてきたか》 ・
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でも、私が考えたいのは、「普通学級の中の介助」だ。
もちろん、教室でも食事介助という行為そのものは同じかもしれない。
ただ、私が考えたいのは、その先の意味だ。
普通学級のなかで、自分では食べられない子どもや、
言葉を話さない子どもの「介助」をすることで、
私は何をしてきたのか・・・。
「できないから『介助』ではない」、
以前、私はそんなふうに書いたことがある。
リサが「できない」から、
「できる」ようにするために「介助」に入るのではなかった。
直史が周りに「迷惑」をかけるから、
それを防ぐために「介助」に入るのではなかった。
康治が「できない」ことを、
代わりに「してあげる」ために入るのでもなかった。
「できない」ことがあっても、
その「できない」ままの姿で堂々とそこにいて欲しいから、私は介助に入ってきた。
この子が障害のために「階段を上がれない」とき、
2階に車椅子と子どもを運びながら、
私は何をしてきたのか。
階段の上の友だちのいる所に行きたい気持ちを、
「誰でもそう思うよね」とその子に伝え、
まわりの子どもたちにも、
「あたりまえのことだよね」と伝えること。
子どもが、自分には障害があるから仕方がないと
あきらめてしまわないように。
そんなふうに、この子が「できない」こと以上の寂しさを感じないように。そんなことを思っていた。
障害のせいで「できないこと」と「できること」の間に入り、
私は何をしてきたのか。
ようやく分かってきたことは、
この子の「私」が、
みんなとの「私たち」から零れ落ちないように、
ということだった。
一人の子どもの「私の毎日」が、
いつしか「私たちの毎日」に変わっていく日々を、
私は子どもたちのそばで見せてもらってきた。
入学するときには、
「私の学校」「私の先生」から始まる生活が
いつしか「私たちの学校」「私たちのクラス」という
実感に変わっていく日々。
遠足・運動会・合唱祭という行事が、「私の楽しみ」から、
「私たちの楽しみ」になっていく時間を見せてもらってきた。
例えばピストルの音が恐くて
1年生の運動会に参加できなった子が、何年か後には、
みんなのなかのどこにいるのか見つけられなくなるほど溶け込んでいく姿を見せてもらってきた。
そんなふうに一人一人の子どもの「私の学校生活」が、
「私たちの学校生活」と感じられるように、
そのためのつなぎになりたいと思った。
例えば、車椅子を押すことが「つなぐこと」だった。
みんなのそばに連れていくことが「つなぐこと」だった。
時には、みんなから離れてぽつんとしている子どもの
名前を遠くから呼びながら、私が動かないことで、
見かねた子どもたちに走っていってもらうことが
「つなぐこと」だった。
いつも「いない」のが当たり前になることで、
クラスの「私たち」からこの子一人零れ落ちないようにと
願いつつ、同時に私がしてきたのは
「この子の私」と「この子の私たち」をつなぐことだった。
そのためには担任や周りの子どもに気を遣う、
「監視」のような「介助」ではだめなのだ。
Posted by 会員
at 06:45
│Comments(2)
弱小の会のためケンちゃんの支援がなかなかできずに申し訳なく思っています。わたしたちの、考え方を学校現場に知ってもらう努力は、(時には空しくなることがありますが。。。)、地道にしていくしかないと思っています。
ホント、佐藤先生の言葉はいつも感動的で、私たちに勇気を与えてくれます!