2008年03月04日
『スイセン(水仙)たち』と『ワニなつノート Ⅲ』
今は誰も住まない実家の塀沿いに咲いた スイセン (水仙)の花 <花言葉 > 「神秘」 「気高さ」 「プライド」
(ヒガンバナ科) 3月1日は母の命日。私はいつもお墓参りの帰りに、今では誰も住んでいない実家に寄ります。そして、毎年その頃、家を囲む塀沿いに、スイセンの花がいっぱい咲いています。私はその花を手折って持って帰ります。我が家に帰って、父の部屋にある仏壇に、その花たちを供えると、スイセンの香りとともに、母が来たようです・・・。
ーワニなつノートー(佐藤陽一 千葉より)
0点でも送れる豊かな学校生活
「分からない授業はかわいそう」という人がいる。
でも、0点でも楽しく豊かな学校生活を
送っている子どもたちはたくさんいる。
小学校にも、中学校にも、そして普通高校にも、
「知的障害」と言われ、特別な学校や学級を勧められながらも、
それを断って、地域の仲間たちと一緒に、
普通学級で過ごしている子どもはたくさんいる。
「どうして0点でも、そんなに楽しく、
豊かな学校生活を送ることができるの?」
もし、あなたが、その秘密を知りたければ、
子どもたちにそれを聞いてみるといい。
そうして、できることなら、その子どもたちに
「統合教育」の研究に参加してもらえるといい。
どうやって、言葉のない子どもにそれを尋ねるか。
どうやったら、この共同研究に参加してもらえるか。
そこでは、私たちにその「能力」があるかどうかが問われるのだろう。
当事者である子どもたちとの共同研究が、私たちにできるのか、と。
どうやって、言葉のない子どもに、それを尋ねるか。
どうやったら、この共同研究に参加してもらえるか。
そこでは、私たちにその「能力」があるかどうかが問われるのだろう。
当事者である子どもたちとの共同研究が、私たちにできるのか、と。
いま小学校で、いま中学校で、いま普通高校で、
0点でも、楽しく学校生活を送っている子どもたちに、
その中身を、その秘密を、教えてもらうための
コミュニケーション能力が私たちに問われている。
知りたいのは、私たちの方なのだ。
この子たちのため、とは言わない。
私がそれを知りたいのだ。
この子たちは、私がその秘密や理由を分かろうが、
分かるまいが、関係ないのだから。
明日も、あさっても、子どもたちは、
楽しそうに学校に出かけていくだろう。
子どもたちは、多分こんなふうには言わない。
「0点でも、楽しく、豊かに学校生活を送る秘密。
そんなことも分からない大人はかわいそう」
でも、やっぱり、私はそれを知りたい。
誰にでも分かるように、ちゃんと言葉にして伝えたい。
これから、生まれてくる子どもに障害があると分かったときに、
親がよけいな不安を感じたりしなくてすむように。
そしてまた、「0点ばかり」の学校生活や、
「分からない授業」だらけの学校生活を終えて、
地域で自立生活をしている若者たちがいる。
その「分からない授業だらけ」の12年間の学校生活で、
彼らが学んだもの、手に入れたものは何だったのか。
私たちは、それもちゃんと知っているとは言えない。
いわゆる就職もできず、いわゆる作業所の作業も合わず、
一昔前なら施設以外行き場のないとされた若者が、
シエンピとかショーガイネンキンとかを利用して、
また、介助者やヘルパーの援助を受けながら、
町の中で当たり前に暮らしている。
自分の生活をつくっている。
その姿を見るとき、わたしはふと思う。
「分からない授業」だらけの学校で、
この子たちは何を手に入れたのだったか。
あんなに頼りなく見えた子どもが、
どこでそんな自身を手に入れたのか。
その中身を、私が知りたいと思う。
一人ではできないことがいっぱいありながら、
どうして、いまの「自立生活」を、
楽しく、堂々と、創ることができるのか。
耳をすますと、声が聞こえる。
彼らは、みんな同じことを私に言う。
「やれば、できるじゃん」
そうか。
そうだった。
できる・できないを問われているのは、
やはり、私たちの方なのだ。
「やれば、できるじゃん」
「やる気になれば、ぼくたちとふつうの小学生としてつきあい、
ふつうの中学生としてつきあい、
ふつうの高校生としてつきあい、
ふつうの大人としてつきあうことが、
やれば、できるじゃん」
「まだまだ
まぁ、まだまだ、だけどね。」
そんな声が聞こえる
(ヒガンバナ科) 3月1日は母の命日。私はいつもお墓参りの帰りに、今では誰も住んでいない実家に寄ります。そして、毎年その頃、家を囲む塀沿いに、スイセンの花がいっぱい咲いています。私はその花を手折って持って帰ります。我が家に帰って、父の部屋にある仏壇に、その花たちを供えると、スイセンの香りとともに、母が来たようです・・・。
ーワニなつノートー(佐藤陽一 千葉より)
0点でも送れる豊かな学校生活
「分からない授業はかわいそう」という人がいる。
でも、0点でも楽しく豊かな学校生活を
送っている子どもたちはたくさんいる。
小学校にも、中学校にも、そして普通高校にも、
「知的障害」と言われ、特別な学校や学級を勧められながらも、
それを断って、地域の仲間たちと一緒に、
普通学級で過ごしている子どもはたくさんいる。
「どうして0点でも、そんなに楽しく、
豊かな学校生活を送ることができるの?」
もし、あなたが、その秘密を知りたければ、
子どもたちにそれを聞いてみるといい。
そうして、できることなら、その子どもたちに
「統合教育」の研究に参加してもらえるといい。
どうやって、言葉のない子どもにそれを尋ねるか。
どうやったら、この共同研究に参加してもらえるか。
そこでは、私たちにその「能力」があるかどうかが問われるのだろう。
当事者である子どもたちとの共同研究が、私たちにできるのか、と。
どうやって、言葉のない子どもに、それを尋ねるか。
どうやったら、この共同研究に参加してもらえるか。
そこでは、私たちにその「能力」があるかどうかが問われるのだろう。
当事者である子どもたちとの共同研究が、私たちにできるのか、と。
いま小学校で、いま中学校で、いま普通高校で、
0点でも、楽しく学校生活を送っている子どもたちに、
その中身を、その秘密を、教えてもらうための
コミュニケーション能力が私たちに問われている。
知りたいのは、私たちの方なのだ。
この子たちのため、とは言わない。
私がそれを知りたいのだ。
この子たちは、私がその秘密や理由を分かろうが、
分かるまいが、関係ないのだから。
明日も、あさっても、子どもたちは、
楽しそうに学校に出かけていくだろう。
子どもたちは、多分こんなふうには言わない。
「0点でも、楽しく、豊かに学校生活を送る秘密。
そんなことも分からない大人はかわいそう」
でも、やっぱり、私はそれを知りたい。
誰にでも分かるように、ちゃんと言葉にして伝えたい。
これから、生まれてくる子どもに障害があると分かったときに、
親がよけいな不安を感じたりしなくてすむように。
そしてまた、「0点ばかり」の学校生活や、
「分からない授業」だらけの学校生活を終えて、
地域で自立生活をしている若者たちがいる。
その「分からない授業だらけ」の12年間の学校生活で、
彼らが学んだもの、手に入れたものは何だったのか。
私たちは、それもちゃんと知っているとは言えない。
いわゆる就職もできず、いわゆる作業所の作業も合わず、
一昔前なら施設以外行き場のないとされた若者が、
シエンピとかショーガイネンキンとかを利用して、
また、介助者やヘルパーの援助を受けながら、
町の中で当たり前に暮らしている。
自分の生活をつくっている。
その姿を見るとき、わたしはふと思う。
「分からない授業」だらけの学校で、
この子たちは何を手に入れたのだったか。
あんなに頼りなく見えた子どもが、
どこでそんな自身を手に入れたのか。
その中身を、私が知りたいと思う。
一人ではできないことがいっぱいありながら、
どうして、いまの「自立生活」を、
楽しく、堂々と、創ることができるのか。
耳をすますと、声が聞こえる。
彼らは、みんな同じことを私に言う。
「やれば、できるじゃん」
そうか。
そうだった。
できる・できないを問われているのは、
やはり、私たちの方なのだ。
「やれば、できるじゃん」
「やる気になれば、ぼくたちとふつうの小学生としてつきあい、
ふつうの中学生としてつきあい、
ふつうの高校生としてつきあい、
ふつうの大人としてつきあうことが、
やれば、できるじゃん」
「まだまだ
まぁ、まだまだ、だけどね。」
そんな声が聞こえる
Posted by 会員
at 04:47
│Comments(1)
でもね、帯に書かれた言葉は常に語るの
「癒し」の時代から、
「問いかけ」の時代へ。
時代は彼らを今こそ必要としているのにねぇ~。。。