2008年02月22日

「ワニなつノート(佐藤陽一さんのブログ)」より

「ワニなつノート(佐藤陽一さんのブログ)」より

<昨年の2月、我が家に湯浅保健所長さんからプレゼントされた折り紙で作られた手作りのお雛様>


 ー ワニなつノート ー

小澤さんの本(1)

小澤勲さんの「認知症」についての説明に
次のような言い方がある。

ふつうの大人としての人生を送ってきた人が、
ある日「認知症」と宣告される。
そして、固有名詞を奪われる、
自己決定・自主性を奪われ、
自分の人生を自分で生きることを奪われる。
無理だから、分からないから、できないから、と制限される。
周囲の人が決める。
この人の「程度」にあった、環境、ゲーム、仲間
を用意してくれる。
この程度の環境が、この人には合っていると、
誰かが良かれと決めてくれる。

「そこで奪われたものの中身は何?」

そして、またこうも言う。

「できたことが、できなくなっていく。」
そうして、「自分が自分であるという認知的自己は奪われても、
感情的自己は残る」。

感情的自己とは、
《人と人とのつながりのなかにいる自分》だという。


ふと、思う。

もし、子ども時代の最初から、
その機会を奪われていたら、どうなるだろうか
感情的自己を自ら育む機会を奪われた子どもは
どうなるのだろう。

認知的自己(テスト100点自己)を「発達」させるために、
「分からない授業はかわいそう」だからと言って、
もっとかわいそうなことをさせているのではないか。

もう一人の感情的自己がいるのに、その子は見えない。
いや感じない。

誰からも相手にされない感情を、
子どもは、自分の中で大事にすることはできなくなるんじゃないか。

タラーッ泣き




Posted by 会員  at 23:56 │Comments(0)

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