2009年03月31日
「優しさを」を考える(『共に生きる』NO.31)
退職後ヘルパーをしている佐々木さんから、(2004年)8月28日の「夏の森のチャリティートーク&ピアノコンサート」のチケットの申し込みのお手紙をいただいた。
「・・・・『共に生きる』を何度も読み返しております。硬化した脳の持ち主(下命)には難解です。*「水のいのち」教えて欲しいです。学習障害基準についてもよく勉強してみたいです。
皆がお互いに持っている特性を認め合う優しい心は誰でももっている。その心を育てることは誰でもできる。「共に生きる」は輝いています。
5月に結婚した娘に、金子みすずの本を贈りました。いつかは読んでくれると思っております。
まだまだ続くこの暑さ、どうかお身体を大切にご活躍ください。・・・」
* 水 の い の ち
3 川
高野 喜久雄
何故 さかのぼれないのか
何故 低い方へゆくほかはないか
よどむ淵 くるめく渦のいらだち
まこと 川は山にこがれ
きりたつ峰にこがれるいのち
空の高みにこがれるいのち
山にこがれて 石をみごもり
空にこがれて 魚をみごもる
さからう石は 山の形
さかのぼる魚は 空を耐える
だが やはり 下へ下へと
ゆくほかはない 川の流れ
おお 川は何か
川は何かと問うことを止めよ
わたしたちもまた
同じ石を 同じ魚を みごもるもの
川のこがれを こがれを生きたるもの
私はいつも思っている。この会がもうすぐ10年(今では15年)を迎えることが出来るのは、この会が佐々木さんのように実際に障害のある子どもを育てていないけれど、心のどこかで障害のある人について考えていてくれる会員さんの支えがあるからだと・・・。そういう、普通の人々(障害当事者や家族でないという言う意味で)の関心が私たちの活動を温かく見守っていてくれるという、その事実だけで、私は頑張ることができる。
先日、佐々木さんのような普通の人である栗生さんから、心に残る文章を紹介していただいた。それは、大江健三郎さんの言葉を引用されたもので
・ ・ ・ 大江健三郎さんの「”優しさ”を不可能にするものと戦うために」という、ある肢体不自由児者福祉大会で話された言葉を思い出していた。優しさがもてはやされる昨今の風潮に対して、「社会的に意味のある優しさ、それは優しさを不可能にするものと闘うことじゃないか?」と問いかけ、「人が優しくあることを不可能にする仕組みや制度と闘っていくということが、私は社会的に優しい人間の条件だろうと思います」と語られている(『核の大火と「人間」の声』岩波書店刊) ・ ・ ・
「優しさ」を不可能にするものと、私たちは日々闘っているような気がしてなりません。この、いつも心の片隅にある「こり」のような塊。これを柔らかくもみほぐしていく気の遠くなるような作業。そのものが、闘いなのかも知れません。「社会的に優しい人間の条件は、人間が優しくあることを不可能にする仕組みや制度と闘って行くということだ」と大江健三郎さんは言っています。
ところで、この闘いはいつまで続くのでしょうか?
Posted by 会員
at 06:04
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